監督
◎一戸 剛
助監督
◎藤田 善也
※順次更新します
早稲田大学スキー部は、1920年(大正9年)山岳スキー部として発足、爾来、苦難の道を歩みながら現在に至っている。
早稲田スキーの特筆すべき点は、第1回全日本スキー選手権大会が開催される以前より競技スキーに関する研究と東京でのトレーニング方法 などを当時より研究・実践していたことであり、また、早稲田スキーが日本のスキー界をリードしてきた経緯があるという事実である。
1923年(大正12年)、大日本体育会が主催した第1回全日本スキー選手権大会に早稲田大学は関東代表として出場し、スラローム2位(中川 新)・リレー3位となった。
日本のスキー初参加の第2回サンモリッツオリンピック大会(1928年)には、日本代表6名中5名が早稲田の選手であり、大会での活躍はもとより、早稲田スキーは日本スキー界の発展に大きな功績を残した。
1928年(昭和3年)、青森県大鰐温泉で開催された第1回全日本学生スキー選手権大会ではリレーを含む3種目で優勝を飾り北大に続き総合2位となった。
その後、時はすすみ戦後を迎え、早稲田スキーの名声を記したのは、1949年(昭和24年)第22回全日本学生スキー選手権大会で戦後初となる通算8度目の総合優勝を飾った以降である。 そして、1954年から全日本学生スキー選手権大会3連覇・1962年から4連覇をはじめ1967年の総合優勝まで16回の総合優勝に輝いた。この間、冬季オリンピック・世界選手権などに数多くの早稲田の選手が出場し続け、 名実ともに、日本の競技スキーの草創期から発展期の過程は早稲田スキーの歩みであり、早稲田スキーの全盛時代であった。
また、早稲田スキーには、日ごろから真摯なスキーへの熱意・時代に先駆けた技術の研究・自発的自主的トレーニングがあった。
1951年には、本格的なインターバルトレーニングおよびウェイトトレーニングの本格採用・低酸素トレーニングの実施など、現在では当たり前のトレーニングを早稲田の先人たちは、自らの手で研究・開発して日常のトレーニングに反映させていた。 当然のことながら、当時は医科学サポートなどもなく、科学的な根拠は示されていなかったはずであるにもかかわらず、自分たちの手で成し遂げていたと言える。
個人個人の隠れた練習を行いながらも、早稲田大学スキー部の中で競争原理を働かせ、競い合って練習すること(今では集団走という言葉で表現される)により自らの競技力向上に余念がなかったことも事実である。
これらの伝統は、現在の監督が言うところの「考える選手を育成する」という言葉にも現れている通り、今でも現役部員に息づいていることは言うまでもない。
しかしながら、1967年(昭和42年)第40回全日本学生スキー選手権大会での総合優勝以降、40年間の長きに渡り栄光の座から遠のいた。
かつての監督が、出場選手がなければ一人で早稲田の部旗を持って参加すると言った如く、選手不足の苦難の道が続いたが、いつの時でも常に勝利への目標をあきらめず、先人の熱意と創造力を学びながら早稲田スキーは進んで来た。
近年、歴史と伝統を受け継いだ少ない選手の中から、アルベールビルオリンピック大会(1992年)において、河野孝典(当時早大卒業1年目)・荻原健司(当時早大4年生)の2名による金メダリスト誕生に輝いた。 まさに、早稲田スポーツの偉大な進化を発揮された瞬間であった。
その後、彼らに続け、とばかりに、荻原次晴・富井 彦・一戸 剛・畠山陽輔・成瀬野生らが長野オリンピック・ソルトレークオリンピック・トリノオリンピックに相次いで出場した。
そして、2007年(平成19年)、青森県大鰐町で開催された第80回全日本学生スキー選手権大会で、1967年以来40年ぶりに総合優勝の栄冠を手にした。 少数精鋭の原点に立ち返り、体制強化を整備して強い早稲田大学スキー部を目指した結果が結実した瞬間であった。
選手・指導者・OB・大学関係者が一枚岩となって獲得した勝利である。
多くの先輩が、白凱々降魔はすさぶ朔風の真只中を力の限り早稲田精神を持って築かれた1920年(大正9年)から始まった不滅の光は後輩へと受け継がれた。
早稲田大学スキー部は、真に学生スキー界の覇者となるべく、歴史と伝統に育まれ進化を続ける。
スキー部 部章
歴史と伝統の部章
モーニングセーター
インカレの時のみ着用する由緒あるモーニング(選手が着用しているセーター)
「正念相続」の額
富樫監督の時代に鎌倉・円覚寺の朝比奈宗源住職に書いていただいた書。
赤子のごとく信念を持って念ずれば事は成就するの意。
現在は、合宿所の食堂に掲げられている。
「早大スキー部連絡所」看板
昭和初期より70有余年に渡り新宿区戸塚町1-101池田靴店に掲げられていた看板。 同所は、早稲田大学スキー部連絡所として歴代の先輩方がお世話になった。
現在は所沢の合宿所玄関に掲げられている。
「早大スキー部合宿所」看板
1990年(平成2年)まで東伏見合宿所に掲げられていた看板。
現在は所沢の合宿所玄関に掲げられている。
「小野梓スポーツ賞」
1967年以来40年ぶりのインカレ総合優勝に対し、2007年3月25日卒業式にて
スキー部に対し授与された。
「稲門体育会 体育名誉賞」
2007年5月、40年ぶりのインカレ総合優勝に対し、稲門体育会
(河野洋平会長)よりスキー部に対し授与された。
スキー部員は、全員寮生活を送っています。寮の名称は「早稲田大学スキー部合宿所」です。 合宿所は日常生活の場であると同時に、トレーニング基地でも あります。歴代部員の血と汗と涙がたっぷり染み込んだ場所であり、 尊い場所でもあります。 その意味で、スキー部にとって合宿所は神聖な場所です。
合宿所が所沢に移転して20年を経過した今、部員はすっかり この地に馴染んでいます。周囲には繁華街や誘惑がないため、 親御さんも安心ですし、狭山丘陵の野山が多くトレーニング環境は 在京の大学の中でもトップクラスではないでしょうか。
【アクセス】
〒359-1166 埼玉県所沢市糀谷134-1 早稲田大学スキー部合宿所
TEL. 04-2948-4288 FAX. 04-2947-0484
最寄り駅:西武池袋線小手指駅下車 宮寺西行きバス乗車 糀谷降車(バス20分) 徒歩1分
または小手指駅より早稲田大学行きバス乗車 早稲田大学降車(バス15分) 徒歩10分
合宿所の概要
敷地に足を踏み入れると、2階建の建物が2棟あります。 基本的には、男子と女子で棟を分けています。 (07年度のみその限りでありませんが。。。) 合宿所の部屋は2人部屋で意外と快適(!?)と評判です。
玄関を入ると、部員の靴とブーツラックが所狭しと並んでいます。
部員の憩いの場所は食堂です。テレビもあるしエアコンも2台設置されています。 これはOBの方が寄付してくださったものです。 栄養管理の先生のレクチャーを受け、日常の栄養摂取の大事さを 皆がわかっているので、栄養摂取のベースとなる場所です。
食堂は、ある時はミーティングの場に変わりますが、そういった時はこの憩いの場もピンと張り詰めた空気が漂うこともしばしばです。
合宿所にはウェイトトレーニング場が併設されていて、いつでもトレーニングができます。 ウェイトトレーニング場に設置してある器具は創部70周年の記念に稲門スキー倶楽部の先輩方から 寄付していただいたものです。その後、少しずつコツコツと買い足したりリニューアルしているので、 充実したトレーニングができます。
合宿所でのトレーニングの他、大学(所沢キャンパス)のトレーニング場やグランドも使用できます。 また、所沢キャンパスを越え、西武ドーム方面に走ると狭山湖があり、ランニングやポールウォークなど、 トレーニングのバリエーションも多様にとることができます。早稲田に興味のある方は一度、見に来てください。
2008年7月から新たな合宿所物語が始まる!
2008年6月30日、スキー部合宿所の増築工事・改修工事が終了しました。
これに伴い、一時的に近隣アパートに居住していた女子部員も7月以降、新合宿所での居住を開始し、 本来のスキー部合宿所としての新たな一歩がスタートしました。
新たに完成した建物は、新館(トレーニングルームのある棟)につなげたもので、「女子棟」として使用します。 新たな部屋を3部屋(一部ミーティングルーム含む)確保し、従来からある部屋を拡充改修しました。
また、1階には女子専用のトイレ・風呂・洗面所を新設し、2階の居住空間に入る入口にはドアを設置しました。 これらは、女子部員専用の部屋を確保すると同時に、セキュリティを確保することを狙いとして行ったものです。
玄関を入って右に風呂、正面右手にトイレ・洗濯場、正面には2階部員部屋に上がるセキュリティドア。 風呂場は3~4名が入浴可能なサイズの湯船・シャワー3器・洗面所を設置。 トイレは従来通り3器、および、洗面所・洗濯場を完備。
※ ここから先は男子禁制となりました。
新設した部屋はフローリング仕様、かつ、採光抜群で、明るい間取りとなっています。
従来の部屋もリフォームし、1つ1つの部屋を広くしています。
これまでの女子部屋と比較すると、1人あたりの居住スペースがかなり広くなっています。
本館の内部も、旧女子風呂と他の2部屋を改修し、男子部屋として最大限使用できるよう部屋数を増加しました。
また、今回の増築・改修工事に伴い、部員の駐輪スペース・部車の駐車スペースが狭まったため、三ヶ島製作所様のご好意で敷地内の樹木を伐採していただき、新たに駐輪場設置と駐車場確保をしていただきました。
この増改築にあたっては、足掛け2年を費やしました。
早稲田大学本部との調整・会議を何度となく実施し、関係各位のお陰をもちまして完成に至りました。
この間、大学関係者の方々および三ヶ島製作所様には大変お世話になり、部員の生活のために最大限の努力をしていただきました。
心から御礼申し上げます。ありがとうございました。